お母さん、今までいろいろあったけれど、ありがとう。そしてお疲れ様。

4月に認知症と言われたけれど、こだわりが強いだけで頭は普通だったから、その状態で飲み込めないとか呼吸が苦しいとか、
きっと怖かっただろう、かわいそうだった。。
そして、その気持ちに、うまく寄り添えなかったことが後悔。


どの時点で、入院させるべきだったのかな。。
サツマイモが食べられなくなった時点でなのか、ご飯が半分しか食べられなくなった時点だったのか・・・

食事で息止めして、呼吸がしづらくなった時点だったのだろうか?

ケアマネさんも、Drも、訪問Nsさんも今すぐ入院ってことは言ってなかったけど・・・
早く入院したら、回復する見込みあったんだろうか?


それとも、この、だんだん食べなくなってくる(最後の頃は、食欲が無いとか飲み込みにくいとか、食べるのが疲れるとかで、お粥、大さじ3くらいしか食べられなかった)というのが、
自然な老衰死なのだろうか?




最期の日の朝は覚醒していて、「ご飯食べたい」と言った母。

今まで何度か抗不安薬断薬を試みて、1日で挫折して、薬が抜けなかった母。
この入院で禁食3日めで、ようやく薬を抜いても「ご飯食べたい」って言えるようになったのかな。

今までも何度か断薬を試みて、1日飲むのをやめてみたら、不眠の訴えが強くて、結局止められなかった母。

私や母の姉たちが「夜寝られないなら、昼寝すればいーじゃん」と言っても、
夜寝られないのは絶対嫌だといって、薬を止めることができなかった。

飲まない日を少しずつ増やせば、別にうつ病とかじゃないんだし、やめる努力したらいいのに、それができなかった母。
そういうこだわりが強い性分だから、仕方がないか・・・と私は諦めるしかなかった。
母は多分、不安神経症だったのだろう。


話がそれたが、
添いができてたら、少しは違ったかもしれない。
朝は、ご飯食べたいって言ったのに、無呼吸始まったとか・・・

酸素2LしてたからCO2ナルコーシスによる呼吸抑制だったんだろうか?
でも、マスクじゃなくて鼻カニューレだったし、ナルコっちゃう程でもない気もするし・・

でも、覚醒してるんだったら、酸素減らしててもよかったんじゃないかな。
横になって安静にしていたら、SpO2は90%はあるんだし。。

また、不穏になってセンサー取ろうとしたって話も聞いたし。

付き添いできてたら、呼吸数も見てあげられてたのに・・・

まぁ、この点で病院と争う気なんかないけど。

なんとなくだけど、病院で酸素つけたらもう終わり、という印象あるよね。
看護師さんは24時間張り付いているわけじゃないから、センサーがあるって言っても、酸素管理は難しいよね。


あと2か月早く介護保険申請してたら・・・コロナ前にデイサービスに行けてたのかな。
悔やまれるけれど、仕方がない。(コロナ問題始まってからは、新規受け入れ中止だった)

でも、デイの体験2か所したけど、疲れるとか、うるさくてやだとか言ってたな(^^;


入院した時に、Drに「ホスピス的な治療というか介護になる」と言われて、

どうせダメなのなら、1晩で家に連れ帰って、家で好きなアイス食べさせて看取ってあげたかったな・・・
でも、家に連れ帰っても、どうにもしようがなかったのかな・・・

近所の巨大病院にしておけばよかったのかな、とか思ったり。
(そこの先生にはうちじゃない方がいいと言われいて、それを信じて療養に連れて行った)


もっと、お風呂に入れたり、頭洗ったり、着替えさせてあげたりしたかったな。
まだ、押し車でギリギリの力だけど歩けたし、前日までデイサービスのフルーツとアイス食べてたのに・・・

これからが在宅寝たきり介護かなと思ってたけど、やっぱり食や体が細い人は、長く在宅介護にはならんね。予備力体力が無いから。




あの世で、食欲いっぱいあって、猫ちゃんに囲まれて、お花がいっぱいのところで、楽しく過ごして欲しい。

なんだか後悔ばっかりだなと思っていたけれど・・・・

娘と9年も一緒に暮らせて、幸せな方だったんじゃない?と思えるくらいにはなってきた。

息苦しさも4月後半からだったけれど、食欲が無く痩せて、呼吸筋自体が弱っていったから、それで在宅酸素しても、どれほどの効果があったかな・・・とも思えるようになってきた。

まさに、食べなくなってきて、自分の体を燃料として生きて、燃え尽きたんだな。


冬の間1〜3月は、母は庭仕事が無いので、寒いしほとんど外に出なかったのだが、
それで、ひと冬終わって春になると、なんか動き出しが鈍いというか衰えたなと感じるようになってきたのが、ここ3〜4年。

本人も、春の動き出しが年々大変に感じていた。

お料理もしないから、圧倒的に立っている時間が少ないし、
「冬の間は、自分で体操したり、スポーツクラブに行きなよ」と、私は勧めていたんですけどね・・・




今、働きながらの庭の管理が地味に大変で、
親は私にご飯作ってもらって、趣味の習い事やガーデニングに熱中できたんだから、それなりに幸せな方だったんじゃないかな?


芝生刈りは大変だし、お花の管理は難しいし、実がなる方が好きなので、
砂利敷きと畑にしちゃうかも(^^;


最後の頃優しくできなかったのも(親はそれなりに感謝してくれてたみたいだけれど)、
多分、介護疲れで自分には余裕が無かったのだろう。

*いろんな介護ブログを読むと、施設に入れた方がお互い優しくできるらしい。距離感が大切か


時々虚無感に襲われるけれど、
後悔はしても意味がない事の最大の事だし、やることがたくさんあって、私がやるしかない、と力を出して起きる。

母は、私に家事をしてもらって、この9年、好きなガーデニングや習い事でエンジョイしたよね!

私が、地元に戻って専門に通って資格を取っている時でさえ、ご飯も作ってもらえなくて、好きなことしてたよね〜。
(周りの大人のクラスメートは、親と同居の人は親に助けてもらってて、うらやましかったな…)

親戚の同年代の独身wのいとこも、お母さんにお弁当作ってもらっていて、いいなと思ってた。
親の手づくりご飯なんて、いつまで食べられるかわからないし。。

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入院から最期までは、記録は辛すぎるので、プライベートで。

気づいた反省をば。

【第三者たる専門家の意味】

ケアマネージャーさんも、訪問看護師さんも、
介護者の悩みを聞いてくれたり、親本人の悩みを聞いてくれたり、概ね満足していたけれど、
母が死んでからは、少し疑問が残ってしまった。

だれも、在宅酸素した方がいいと、強く介入しなかった。

認知症のかかりつけ医は、1度呼吸の検査した方がいいと思うけど・・・と6月頭に言ってたけれど
別のかかりつけ医は、今すぐどうこうという話では・・・というニュアンスだった。

最期、入院してCTやったら、肺に異常はなく、結局は呼吸筋の廃用(呼吸筋が1cmも無かった)だったのだが、それならそれで、在宅酸素もアリだったんじゃないかなぁ。
(やっても、そんなにラクにはならないという噂もあるけど)

私も判断材料にネットでたくさん調べていたし、ケアマネさんも訪問看護師さんも、かかりつけ医も、判断に迷うほど微妙なラインだったとは思うし、6月から急激に老衰が悪化してきたのだが。。
でも、微妙なんだったら、やればよかった。5月からの本人の訴えをもっと重視すべきだった


祖母を介護していた伯母さんに、母の死後聞いてみたら、
祖母には酸素屋さん?を呼んで、在宅酸素してあげたそうだ(30年前くらい)
最期の頃は、こんなの効かない!と言って本人がとってしまったみたいだけど・・・


私がいくら、自然でいいと思って・・・と言っても、家族は介護中って余裕が無くて冷静になれないし、
患者本人は呼吸が苦しいんだから、患者本人の苦痛の緩和が最重要事項なのでは?

家族のしがらみから、家族が迷ったりしていて冷静になれていないのなら、そのために、第三者の存在があるのでは?と、
看護師の友達が弔問に来た時に感想を述べていた。私もそう思う。

その点では、初回に来てくれたベテラン看護師さんが良かった。でも、その後は日替わりだった。

訪問看護師さんもケアマネさんも、SpO2の値も労作時に下がるのだってわかっていたのだから、もっと介入して押してくれてもよかったのでは。

ただ、かかりつけDrが言ってた「動くときに酸素しないと意味がないなけど、それってどうかな」という言葉、
たしかに、そうかもしれない。
呼吸筋自体が弱ってるのに、酸素したところで、どれほどの効果があったのかとも思う。




もしかしたら、リハビリ病院や老健に入って、嚥下訓練と呼吸訓練する、という選択肢もあったのかな?
(知り合いの90歳のおじいちゃんが、それで食べられるようになったとのこと)
そういう選択肢も、提示されなかった。
そういう選択肢は全く無かったのだろうか?認知症と鬱と老衰だもんな。。。


訪問看護は、悩みやオンコールを受けてくれたり、概ね満足しているけれど、
何のための専門家なのだ、何のために訪問看護を入れていたのだろうと、少し疑問が残った。在宅介護の限界?

素人である家族が情報を調べるには、限度があるし。。。


結局、酸素した方がいいとハッキリ言ってくれたのは、デイサービスの社長さんだけ。親身に心配してくれたのも、毎日来ていたヘルパーさんという印象が残った。

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母が、猫のエサやりでいつも会っていたおばさん。
でも、いつも母に優しく面白く接してくれて、母が歩くの辛いときは家まで車で送ってくれたりした。

このおばさんには、絶対に母に会って欲しかったので、夕方猫のところに行くと、おばさんの車があった!

いったん家に戻ったら、町内の弔問の人が来ていたのだけれど、玄関先で失礼して、またおばさんの車まで急いで戻ったら、おばさんがいた!

きっと、お母さんが会わせてくれたに違いない。

そして、家まで誘導して、お母さんに会ってもらえた。
お母さんは(私もだけど)、おばさんの優しさやユーモアに癒されていたので、本当に本当に良かった。

葬儀屋さんが、お線香は一人1本と言ったけれど、
猫おばさんは、自分の分、ミーちゃんの分、シロの分と、3本のお線香をあげてくれた。
そんな優しいおばさんなのだ。


納棺は、猫おばさんと私と葬儀屋さんで行った。(もう一人来るはずだった近所の長い付き合いのおばさんは、体調不良で来られなかった。親戚は高齢で来られない。)


葬儀で、お棺の釘打ち前には、ピンクのお花をたくさん入れられたし、叔母が折ってきてくれた折り鶴をみんなで入れた。

叔母の気持ちが嬉しかった。
うちのお母さんに、そういう気配りあったかなぁ(^^; 体が弱かったから自分の健康のことで精いっぱいだったかもしれないね。

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葬儀後、お寺にお布施を届けた。
和尚さんは88歳で、今にも転びそうな感じでフラフラ歩いていた。
家に手すりは無く、障子とかにつかまりながら。家の中でも歩行器使ったらいいのにな。
(うちは使ってました)

介護保険でレンタルできる据え置き手すりのことを、お節介なのかもしれないけれど、話しておいたけれど。。

我が家は、4月にトイレや玄関や居間にレンタル手すりを設置したけど、私も少しは善いことできたのかな。
ポータブルトイレは遅すぎたけど・・・

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【介護まとめ】

・認知症でも本人が意思表示できる清明さがあれば、万が一の時に本人が入院したい病院や治療を聞いておく。家族の都合もあるだろうが、本人の意向に沿うようにすれば、家族が後悔が残らない。と思う
後悔は最大限に辛い。

・「介護者」が後悔しないために、親の話しは流してもいいから「そうなんだー」と聞いておく。「ありがとう」と日々言っておく。

・頑張らせたくはないけれど、可能性があるのなら、リハビリ病院や老健に入る方法はなかったのか?

呼吸が苦しそうだったら、例え数カ月でも在宅酸素をしたほうがいいのでは?。呼吸が苦しいのは最大の恐怖と苦しみだろう。苦痛の軽減が最優先だと思う。

・呼吸や嚥下、歩きが弱くなってきたら、老衰で先は長くはない。だからこそ、最大限優しくしてあげたい。それが、亡きあとの介護者の心の苦痛を和らげることになる。

・残された者の後悔の苦しみはとても辛い。だから、期限を決めてもいいから悔いのない介護や接し方をしよう。

・母の場合は、口の呂律が悪くなる→嚥下障害と鬱気味に→動かない→食事量低下→廃用(主に口と呼吸)進むという経過をたどった。頭はハッキリしていただけに、飲み込めない呼吸が苦しいのは、怖かったのではないだろうか。

・母の2歳下の弟さんは、自宅で運動したり自炊したり自分でいろいろやっているので、電話しても声に張りがある。健康の為と思って家事をやるべき。


・娘と暮らせない親もいるわけだし、私が同居した9年間は母の家事はラクになったので、母はそれなりに幸せだったのかもしれない。
(自分で全てやっていたら、もう少し長生きしたのかも)


・それに、今の私の年齢ぐらいから、いろいろ習い事始めたり、父とどこかに行ったりして、それなりにエンジョイしてたと思う。去年の夏まで自分で運転して習い事に行ってたし。

・ご臨終ですと言われたあと、身体を抱きしめてもっとなでなでしてあげればよかった。小さな体でよく頑張ったのに。(実際は、自分がフェイスガードするように病院から言われて、そういうことができなかった)

顔や肩に触れて温かかったけれど、それ以上は何もできずに呆然としてしまった、というか、その後葬儀屋さんへの連絡とかで忙しかった。









【家族葬まとめ】

・お棺は母の大好きなピンクにした。

・家族葬で、会葬者は5人(私、いとこ3、叔母1)

・万が一、新聞(といっても家族葬で行いますと当日にすことにした)を見て来た人のために、入り口に焼香台を設けた。
(来たのは、母の友人1人、父の付き合いのあったおじさんの息子さん1人だった。母も生前「友人は皆高齢だから来ないだろう」と言っていた)

・最後まで家にいさせてあげたくて、最初は自宅葬にしようと考えていた、が仏具の準備とか家だと大変ですよ、と言われて、父と同じ時のこじんまりした葬祭場に。
たしかに、木魚とかも家に運ぶの大変だろうし、ホールにして正解だった。

キレイなホール等、上を見たらキリがないけれど、家から一番近いし、会葬者も5人だから広い駐車場もいらないし、1日1件の質素なホールで自分的には満足。
その分、葬儀屋さんはいつ電話しても連絡がつくし、丁寧に教えてもらえた気がする。

・お花は、母の兄弟4つ。父方実家からも1つ。私の職場から1つ、施主2つ。けっこう豪華になった。

・お寺の都合で、葬儀まで3日もあったが、体力のない私には、少しずつ段取りを進められてよかった。

・コロナ時代で、町内の人の会葬は控えてもらったが、その分、家に来てくれたので、母の話もできて、こういうのも悪くないなと思った(長く休みが取れればだけれど)。


・家から出棺の時には、母と同年代の近所のおばさん4人くらいが、角送りをしてくれた。
身体が弱かった母は、近所の高齢女性の中でも、一番先に逝ってしまったかもしれない。


・いろいろ準備が大変で、ご飯作るのが面倒だった。作ったけれど、宅配弁当とか買い弁がいいと思う。

・お葬式で、お坊さんが母の趣味を読み上げて驚いた(普通は、仕事とかを言うらしい)

・お香典には相互扶助の意味があることを実感。特に、親戚関係のお香典のおかげで、葬儀費用の半分はまかなえた。
(母には兄弟姉妹が多く、姉たちがまだ生きているから)

・というか、むしろ葬儀屋さんにお布施の半分を渡したいくらい...実質いろいろと面倒みてくれたのは葬儀屋さんだから。お坊さんは来て30分程度お経読んだりするだけだし。

・葬儀屋さんは、コロナが終わっても、こういう葬儀が増えると言ってた。そんな気がする。

父の時は、普通のお葬式をしたけれど、親戚も皆歳を取ったり、既に故人になったりしている。

75歳以上の高齢者が会葬に参加したり、焼香しに来るのは本当に疲れると思うし、
喪主の立場でも、たくさんの人が参加する式は、私だったら、準備段階から体力的にとても疲れてしまう。

5人でこじんまりとやって、お経も短かったし、お花はそれなりにたくさん入れることができたし、母のすぐ上の姉が折り鶴を入れて折ってきてくれたり、
家族葬、心温まる感じで良かった。

もちろん、行ける距離なら行きたいけれど、こういうのも悪くないなと思った。オンラインで見られたらもっといいのかも。


火葬場でも、人数が少ないからか、頭の骨を持たせてくれて、頭の骨を最後に骨壺にかぶせて入れた。
みんなで、こんなの初めてだね、多分、来てる身内の人数が少ないからできたのかもね、などと話しをした。

仏縁堂ブランド:塗り位牌春日4.0寸





死去当日:親戚連絡、葬儀社打ち合わせ、隣家連絡、組内の班長さんへ連絡
2日目:お寺と打ち合わせ、葬儀社打ち合わせ、親戚連絡、母の仲良し3人へ連絡、弔問対応
3日目:少し片づけたり、身体を休める、弔問対応
4日目:納棺、自分の着る物持ち物の確認、弔問対応
5日目:葬儀(通夜無し1日家族葬いとこと叔母さんで5人)、火葬
6日目:私の友人が弔問、お寺にお布施を届けた
7日目:お金の計算など、私の友人が弔問
8日目以降:各種手続き開始...といっても、疲れがすごいので、ほんの少し。

疲れがとれたのは、10日後ぐらいからかも。

アドレナリン出ていたのでしょうね、時々手先がしびれる感じがしていましたが、それも仕事が始まって平常の生活になると、治りました。


位牌は楽天市場で注文しました。節約家の母だから、コスパ良いのは許してくれるでしょう。

本当は写真入りのクリスタル位牌とか、かわいいと思うのですが、とりあえずはお寺の言うことを聞いて黒位牌を注文。

そもそも、位牌より写真でいいと思うしね。

仏縁堂ブランド:位牌【世界に一つの特別:クリスタル位牌アペルト(サークル型)サイズ小(3.5寸)】モダン位牌 メモリアルモニュメント 霊璽 仏壇 仏具 手元供養




お母さんが、きっとひ弱な私を心配して、葬儀まで日数をもたせてくれたのだと思う。

しかし、母の財布を無くした!と思ったら、しまい忘れて見つかったり、入院の保証金預り証見つからない!と思ったら出てきたり。。

葬儀まで、まずは、お金と書類の管理が大切だなと思いました。

バタバタしているので、誰かに管理してもらうか、1か所にまとめたり、私は、葬儀の前日に銀行に入れました。


母亡きあと、最初の1週間は、なんとなくラジオやTVをつけていたけれど、
今はもうほとんど付けていない。



【生存中に作っていた覚え書き】





<次、ケアマネさんに聞くこと>
在宅介護の可能性。仕事は減らしても続けられるか?(週2くらい)

食べられるものが少なく、嚥下食を作るのが大変→フルーツとかアイスとか煮物とか、食べたいものだけ食べればいいかな。


<訪問看護師さんからのアドバイスや、聞きたいこと>

・足浴や洗髪、身体拭きもできます。お弁当も冷蔵庫から出すくらいならOK。
・酸素は医師の指示が必要。往診もありますよ。
・今は周りが手伝ってあげて、食べることにエネルギーを向けましょう。

おかずは食べられるものが減ってきて、考えるのが大変。お粥は買っているけれど、とくに野菜惣菜系。


<やりたいこと>

・嚥下食のレトルトや冷凍品を調べる
・定期巡回・随時対応型訪問介護看護(地元にはまだないみたい)はどうなのか?
・介護者の休息のために、ショートステイの利用


<介護者やること>

・前夜:翌日の朝セットと昼セットをタッパーにつめて冷蔵庫に入れておく、トロミ水作っておく (トロミ水に、イージーファイバー混ぜておく)

・翌日予定があればホワイトボードに書いておく


朝セット(おかゆ、栄養ゼリー、コップ、スプーン2)

昼セット(おかゆ、何か好きな物、タッパーに詰める)

昼に元気便お弁当を頼む時は、ホワイトボードに書いてテーブルに置いておく
その他おかずは、スクリュータッパーに入れて冷蔵庫へ。

・朝:朝セットはヘルパーさんが出してくれる。
   トロミ水とトロミほうじ茶を前日夜にテーブルに置いておく
  


<現状>

Drは、要介護2か3は行けると思うと言ってます。せめて2にしてもらわないと、介護サービスが保険で使えない。。
→死後、介護保険の更新通知が来た。要介護3だった。
急激に老衰が進み、間に合わなかった。。


・体力の低下が著しい、呼吸筋の低下でエア入り浅く、嚥下の筋肉も弱って嚥下障害。
・着衣で体重34キロくらい?

・トロミ水とトロミお茶を、家族がペットボトルで作り置き。

・朝〜午前はいつも不調。朝の不調が増えてきた。できない、動けない。

・便が自力で出せなくなってきた。


歩行:やっと歩いている、ふらつき有り。ふらついて壁にぶつかって痣ができていた。
動くとすぐにSpO2が88前後に下がってしまうので、すぐには食事開始できない。
(家族がお盆を運ぶことになった)

家事:無し

訪問看護師さんからも、今は自分でやるよりも人にやってもらって、
エネルギーは食事に向けるべきということなので、

これから、朝ヘルパーさんに手伝ってもらうことにした。
家族が仕事休みの日も毎日。(親の精神的依存度が高いため)


食事:嚥下障害で1時間ぐらいかかる、細かい物か柔らかい物しか食べられない。
   水分はトロミ使用(家族がペットボトルで作り置き)
   朝食中眠くてしかたがない。
   食後は疲れて横になっている
   おかゆは大さじ2〜1程度

服薬:口の中で水分で溶かして飲む(Dr了承済)
   本人こだわりのサプリは、夜にヨーグルトと一緒に

飲水:摂りたがらないので、アラームを使ってみている。400mlくらいか?


排泄:一部介助。パット使用。排便週1くらいだったが、入院前10日程出ず摘便してもらった。

入院前:排尿は問題無いが、排便は一度にスッキリ排便できない日も多く、2〜3回行くことや着脱・パット取り替えで疲労困憊し、息が上がって動けなくなる。


着脱・更衣:ゆっくり自立だが、すぐ息があがってしまう。

歯磨き:自分でできるが息が上がるので、介助

入浴:家族が風呂に入れている。15分程度でも、翌日に疲れが残る。体力が消耗しないように、10日に1回程度。


生活:食事以外は、17時頃までほとんど横になっている。夜の方がわりと元気。
日記を書くことにこだわりがあり、食後に書いていることもある。

食事→歯磨きなど、一連の流れに時間がかかり、寝るのが23時頃。

外出:しない



<方針>

食べたいものだけ食べさせる。水分足らなければ点滴で。

できれば在宅で看取りたい。仕事休めるが、家族では介護できなくなったら施設へ。

在宅のうちは、ショートステイも使いたい



<本人の意思を確認するとき>

夕方5時以降にする。
それより前は、たいてい傾眠傾向で、否定的な意思しか出てこないから。



<食事>
好きな物を食べる




作り置きおかず、身につけたいな〜

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