前の職場の、
笑ったり怒ったり真面目顔とか、喜怒哀楽はある。
でも、しゃべれない、雰囲気は感じていても、言葉は理解していない(響きを楽しんでいるだけ。親は理解してると思ってる。)。
紙を持たせれば、くしゃくしゃと手触りを楽しんで、飽きれば投げ捨て、怒る。
食事も完全には自立できません。もちろん排泄も。

多分、重心で働いたことの無い人には、想像できない世界。

ですが、
中学は普通のところへ行くらしい。。。。

自分で車椅子動かせるわけでもないし、もちろん介助員は付くだろうし、おとなしめの子が、○○さんお世話を甲斐甲斐しくしたりするんだろうなぁ。

クラスで何かやるにつけても、話し合いの度に、○○さんにできることは・・・って必ず考えなきゃならないんだし。それは普通の子にとってはいい経験だけれどね。。
介護の職を考える子などにとっては、とてもいい経験だと思う。

でも、普段生きているなかで、ここまで重度の人と一緒にいることはほとんどないんだから、話し合いのたびにそれでは、無駄な時間も生まれるだろうなぁ。
それが無駄じゃなし、一緒にいることが普通というのが、運動者の考えなんだろうけど。。。
時間って限りがあるから。。
担任も、あまり負担に考えないでやるのがいいね。

物はおぼつかないながらも、持ったり離したり(持つ方は興味ありで、離す方が意図的でないので難しいのだが)はできるから、くじ引き係りくらいはできるかな。○まるちゃん、くじ係りでいい?と一応聞いたりしてね(返事は曖昧だけど)。。

だから、毎回何でも参加じゃなくても、様子見ながら参加でもOKですって親が言ってくれたら、担任としても気がラクだろうなぁ。
参加できそうな役割を考えるのも、案外楽しいんだけどね。


私は、初め、それが、○○さんの為なのか・・・と思いました。

養護に行って、もっと作業療法的なことした方がいいんじゃないかなぁと思ったりもしました。いっつも車椅子に座りっぱなしじゃなくて、
○○○ボードに乗って立つことだって、下半身に重力かかって、筋肉にはいいと思うのに。
そういうことは、親はあんまり熱心ではないようで(というか、効果が上がらず達観したのか・・)、とにかく、普通の中で・・・というような、親が究極のノーマライゼーション運動者なのはわかるけど。。。


でもね、ハタと思いました。

結局、入学して数年経つけど、認識的にも体的にも、話せるようになるとか、ものすごい進歩は無いんです。。そして、この先もそうなんだと思います。

きっと、親は、この先養護に行ったって進歩しないんだったら、大人になったら、いずれは施設や作業所やデイケア。普通学校に行ける年齢であるうちだけでも、普通の子と接する環境にいさせてあげたいのかな、

と、思うようになりました。親も悟りの境地というか。。

でも、最近難しい年頃なのよー、と行ってる親なので、どこまで悟りの境地なのかわかんないけど。
その難しいは、年齢相応の精神発達ではなくて、前よりも認識がはっきりしてきたっていう感じだと思います(だから、気に入らないと怒ることも増えてきた)。